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2013年6月11日 (火)

本圀寺五烈士について

本圀寺五烈士とは、文久3年8月17日に起きた鳥取藩最大の刃傷事件、「因幡二十二士本圀寺事件」といい、側用人の黒部権之介、早川卓之丞、高澤省己、加藤十次郎らが、藩主池田慶徳の側にいるため、藩主が尊王攘夷の本懐を遂げることが出来ないと、河田左久馬をリーダーとした尊王攘夷派22人により、京都の本圀寺で暗殺された事件の被害者側5人のこと。

側用人4人の他に早川の家来の藤井金蔵が真っ先に切られたため、全部で5人ということ。

この事件の翌日、八・一八の政変が起き、長州が都から駆逐され、三条実美ら七卿が長州に落ち延びる七卿落ちになり、天皇ご親征の計画は頓挫してしまうことになり、政局はさらに混沌としてくる。

この事件で、打った側と打たれた側とが鳥取ご城下で隣近所、親戚・友人であったために、この事件の話をすることさえ長らくタブーとなっていた。

水戸では、天狗党と諸生党との対立があると聞くが、水戸ほどではないにしろ、尊王攘夷派と佐幕派との確執が鳥取ご城下に長らく続いており、この確執が、鳥取に本当の明治維新をもたらさなかったと確信し、2012年9月30日に五烈士の150回忌大法要を行った際、五烈士側から和解したいとの御意志を表明され、法要に参列されていた二十二士のご子孫と150年ごしの和解に至りました。

この時点では、黒部、早川、高澤さんのご子孫しか分かっておらず、残る加藤さんのご子孫が分からないのが心残りでしたが、この日曜日に判明したことで、全員揃ってこの事件に一つの区切りを付けられないものか?じっとしてはいられませんねえ。

しかも今年は本圀寺事件150周年です。

いつやるか?

今でしょ!今しかないでしょ!

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