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2013年7月17日 (水)

祇園祭宵山を撮影してきました

次回作「天誅!堀庄次郎」では、文久3年、元治元年の出来事を通しながら、堀庄次郎がどう生きてどう死んでいったのかを史上初めて映像にすることにしています。

そこで、池田屋事件にからめて祇園祭宵山の風景をインサートで使うため16~17日京都に行ってきました。

撮影は人の流れに身を任せ、提灯とコンチキチンのお囃子を織り交ぜて、まずまず良いのが撮れたと思います。

16日は、京都維新を語る会の河崎会長さんの案内で壬生寺に行き、新選組150回忌の法要に参加して、井上源三郎、永倉新八、河合耆三郎の子孫の方々に続き焼香させていただきました。

9月14日の上映会でお世話になる行方市から5名の方々が新選組の衣装で参加されていて、声を掛けたら一発で行方の人に当たり、やったーと思いましたが、その後、都のパレードの出発するということで、お土産のDVDを渡し損ねました。

あの新選組の衣装はマイ衣装なのでしょうか?たぶんマイ衣装だと思います。わたしも山国隊のマイ衣装を持っていますから、惚れたら金じゃあないんですよ、心意気ぜよ!

その後、川崎会長に新選組の幹部が通った角屋と輪違屋に行きました。

芹沢鴨がへべれけに酔って屯所の八木邸に駕籠で運ばれたと聞いていましたが、なんと、戸板で運ばれたそうです。もうその時点で芹沢局長は死体扱いだったんだなあと驚いてしまいました。

新選組と鳥取藩の関わりはドラマなどでは取り上げられていないんですけど、尊王攘夷の雄藩である鳥取藩も新選組にはマークされていたはずなので、次回作「天誅!堀庄次郎」では、是非とも新撰組のシーンを入れたいと思っています。

池田屋事件や禁門の変での新選組の活躍を実写でとれれば最高ですが、予算的にも人数的にも無理なので、河田左久馬など鳥取藩士が新選組とすれ違ったり、新選組を避けて通ったりするシーンを入れようと思います。

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コメント

はじめまして。
新選組茨城玉造隊の篠本と申します。
私もその5名の中にいたんですが
森本さんのことは分かりませんでした。
失礼致しました。

私もご挨拶がしたかったのですが残念です。

行方市役所の高埜さんと一緒に9月に当地で行われる新選組祭りで
森本さんの作品を上映することが出来、いまからワクワクしております。

今回、京都に行った私以外の4名は地元で玉造座という市民劇団で活動しております。
もし今後の作品に私を含めてチラッとでも出させていただければなどと
密かに企んでおりますので宜しくご配慮いただければ幸いです。

一応、私が森本さんの講演と映画上映を担当しておりますので
ご要望がありましたら遠慮なく申し付け下さい。

新選組茨城玉造隊 篠本様
はじめまして、維新の魁 監督の森本です。
壬生では、たまたま声を掛けた方が茨城の方でしたが、皆さん新選組の制服を着ておられましたので見分けが付かなくて、また、イベントの進行上時間もなく、ご挨拶もできませんでした。
映画予告編のDVDをかばんに入れて持っていたのですが、市中パレードの前にお渡ししても邪魔になると思い渡しそびれてしまいました。
新選組になりきった人たちがあれほどまとまると迫力があり映画にしたいくらいでした。
是非、次回作に登場いただければと思います。
スケジュールが合うといいですけど、いま、台本の仕上げにかかっており、撮影は10月上旬頃になりそうです。また、逐次準備状況をお知らせしますので、都合があえば、是非、鳥取にいらしてください。

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