新選組の小道具も順調です
維新の魁ファンの皆さんお久しぶりです。
この土日は京都山国に行き、毎年恒例の山国軍楽隊の行進に参加してきました。
この度は、私と早川卓之丞のご子孫である美田さんと二人が鳥取藩代表で参加しました。
河田左久馬たちに殺された早川卓之丞のご子孫が、河田が隊長を務めた山国隊の一員になって行進するというのは、内心どう思われたか微妙なものがありますが、戊辰戦争で河田は山国隊とともに手柄を上げて、明治新政府の要人となり、薩長土肥に臆することなく鳥取藩の活躍を政府の文献に残し、鳥取藩が鳥取県たりえた原動力は河田だと思っていますので、早川さんたちの死は絶対無駄ではなかったと断言いたします。
しいて言えば、早川さんたちの死があったからこそ、鳥取に明治維新がもたらされたと言っても過言ではないと思っています。
そう言う意味でも、美田さんが山国隊の軍楽行進に参加されたことは、歴史に残る大事件ということになります。美田さんには都合がつけば来年も一緒に山国に行っていただけたらと思います。
私はこれで4回目の参加になりますが、これまでで最長の距離を歩き、3時頃離脱して鳥取に帰りました。
と言っても、山国の皆さんは6時ころまで行進をされるので、私は全体の1/3ほどしか歩いていません。山国の皆さん申し訳ありません。
錦旗をなびかせながら、ぴーひゃらぴーひゃらの軍楽に合わせて行進すると、気分はすっかり戊辰戦争です。
山国の皆さん、特に軍楽保存会顧問の河崎さんには本当にお世話になりました。また、来年も参加しますのでどうぞよろしくお願いします。
また、今回は河田精之丞の直系のご子孫も初参加され、河田左久馬の隊長服を着て隊の先頭を勇ましく行進されました。
これは歴史に残る出来事です。
あの世の河田左久馬も河田精之丞もご子孫の勇ましいお姿をご覧になりどれほど頼もしく思われたか考えるだけで嬉しく思いました。
是非、来年も参加していただきたいものです。
私の映画にも今回作で初めて河田左久馬が登場しますので、これも何かのご縁と本当に嬉しく思います。
鳥取県東部では、河田左久馬はテロリストのリーダーとしての認識が強すぎ嫌われているのですが、戊辰戦争以後の河田の活躍には目を見張るものがあり、私の映画でその誤解を解き、山国隊とのコラボレーションで河田の名誉回復を果たしたいと思います。
その河田の復権第一弾が今回作の河田の京都弁です。
京都弁の河田が鳥取人に受け入れられなかったのではないか?ということを映画で感じていただきます。
タイトルと違うことを長々と書きましたが、新選組が持つ手槍の制作が進み、新選組らしくなってきましたので乞うご期待です。
河田精之丞の直系のご子孫と緊張の一枚。
初対面でしたが、礼節をわきまえ品格もありとてもいい青年で、維新の志士 河田左久馬と精之丞の血を引くにふさわしい方でした。
いつか、鳥取にも来ていただき、河田左久馬の名誉挽回に一役買っていただけたらと願っております。
河田左久馬は、鳥取には嫌われながらも、終生 鳥取のために尽力された方です。
鳥取の大恩人と言っても過言ではありません。
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