本家山国隊は京都時代祭に参加できないか?
戊辰戦争で大活躍した山国隊は、大正8年を境に京都時代祭に参加しなくなりました。
大正9年以降はその代わりに壬生の方々が維新勤王隊という名称で行進されていますが、そのモデルは山国隊であることは申すまでもありません。
大正時代までは、本物の山国隊士も生きておられ、時代祭では本物の山国隊士が行進されていたそうです。すごい!
で、本家山国隊が行進しなくなって94年が経ち、あと5年で明治維新150年になりますが、その時には99年になります。四捨五入して100年です。
そこで、ご相談があるのですが、明治維新150年となる平成30年の記念すべき京都時代祭に本家山国軍楽隊が参加するということはできないものでしょうか?
誰に相談すればいいのかわからないのでみなさんのお知恵を拝借したいのですが、どうすれば、本家山国隊は時代祭に参加できるのでしょうか?
平成30年の1回だけでも参加していただきたい。
山国の皆さんも頑張っていただきたいし、京都市民の皆さんにも応援していただき、本家山国隊が時代祭に参加し、都大路を正調軍楽で行進する姿を見てみたいのです。
死ぬまでに一ぺんでいいから見てみたいのです。京都の皆さんもそう思われませんか!
人数が足りなければ鳥取藩から応援に行きます!
京都の皆さんどうか協力してください。山国の皆さんを応援してあげてください。
そして、みんなで本家山国隊が都大路を錦旗を掲げ正調軍楽で行進する姿を目に焼き付けようではありませんか。
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山国隊が時代祭に参加出来なくなった本当の理由を御存知ですか? 当時の時代祭の後、参加者が島原(遊郭)で豪遊されて維持費を使い果たす事件が頻繁に起こり時代祭への参加を山国の方々が取り止めたから中京区の方々が代わりを務めて90年。それなのに山国隊の方々は、自分達が本物なのだから我々が時代祭に参加するのは、当然であると言っておられるのです。一緒にでは、無くて山国隊が人員を集めて参加すると言っておられるのです。今まで練習を積み重ねて頑張って来た中京区の方々は、どうなるのでしょう!? あなたは、それをどうお考えでしょうか?
投稿: 佐幸 | 2014年11月 4日 (火) 22時05分
山国隊の行列に参加してるんですが時代祭に興味がある人って居てるんかな?疑問ですf^_^;時代祭への参加より『山国隊の町』って言う町おこしの一環が強いんかも…。それに「本家本元がやらなきゃ」って他府県からの勝手な(応援してもらって申し訳無いけど)要望があったりして正直言って困っています!!壬生の人々に分かって欲しいんですが時代祭を乗っ取ろうとか大それた事は、考えて無いですよ!!YouTubeで演奏や行進を比べてみても俺らには、絶対無理です!!あんなたくさんの人前で聞かせられる音で無いです!!無理無理無理!!練習増えんのも絶対嫌~!!人の気も知らんと山国隊やから出るべきだとか勝手に盛り上がられたら迷惑です(-"-;)やらされるのは俺らなんですから内情も知らんと勝手に期待しんといて欲しい!!
投稿: 名無し | 2014年11月 4日 (火) 23時18分
コメントありがとうございます。山国隊の時代祭出場に対して一度に二人のコメントがあるとは驚きました。まず、初めのコメントについてですが、歴史的ないきさつは良く知っています。山国の方たちが「本物だから時代祭への参加は当然である」という論調は、私は山国の皆さんからは聞いていないし、山国の方たちとの会話の中でそう感じたこともありません。山国の皆さんがそう言っておられるのでしょうか?「参加できたらいいなあ。参加するのはかなりハードルが高いのでどうしたらいいのかなあ。」ということで、私もここで知恵を貸してくださいと書いたのです。「出て当然だ。」という高飛車な言い方は聞いたことがありません。壬生の方たちが維新勤王隊として参加されだして100年近くが経過しており時代祭の顔です。しかし、維新勤王隊を見てそれを「山国隊だ」と言う京都の方も多くおられるのは事実です。山国隊が京都の明治維新の誇りであると言うことではないでしょうか。その山国軍楽を約150年間昔のメロディーのままに伝承している山国の方たちが明治維新150年の節目となる平成30年の時代祭に参加したいという思いと壬生の方たちの思いが相反するとは思いませんし、壬生のメロディーと山国のメロディーは違いますので一緒に行進することができないのは、むしろ当然だと思います。たとえば先頭を壬生の維新勤王隊、一番最後に山国隊が行進して明治維新150年をお祝いするというようなことが実現したらすばらしいことだと思いますけど、壬生の方々はそれを嫌がられるでしょうか?嫌がられているのであれば、山国隊の時代祭出場について、壬生の方と山国の方とが良く話し合いをする必要があります。
2番目のコメントについては、山国隊内部の方のコメントなので本音を書かれていて、山国軍楽隊が150年間昔と変わらないメロディーを継承するためには大変な苦労があるものと改めて敬意を表したい気持ちです。夏休みに小学生を集めて特訓して、大きくなり山国を出て行った若者も10月第2日曜日の軍楽行進の時には山国に帰り軍楽を演奏する子もいると聞いています。山国隊は鳥取藩と共に戊辰戦争を戦っており、本来なら鳥取藩自体にも軍楽があったのでしょうが、残念ながらこの150年の間に消滅してしまい、その痕跡すら残っておりません。鳥取にとって山国の軍楽は、明治維新に活躍した鳥取藩の誇りを感じるものですので、山国の方たちには感謝と敬意とそして誇りを感じております。コメントを書かれた方にとっては練習や本番の行進は本当に大変だと思いますが、150年前の山国隊のご先祖様たちが自腹で戊辰戦争に参加し、大手柄を立てて、軍楽を演奏しながら錦の御旗を護衛して京都に凱旋したすばらしい歴史、京都の誇りを後世に伝えていくためにも、ご不満もあるでしょうけど、なんとか耐えていただけたらと思います。山国隊が平成30年の明治維新150周年の時代祭に参加するかどうかはまず山国の方たち自身が決めて、出られるようにお願い運動して、それを時代祭運営責任者がOKして、というような流れになるのでしょうが、もし万一、万一参加できるとしたら、それ自体が歴史の一こまになりますので、腹をくくって行進してください。お願いします。
投稿: ブログ管理者 | 2014年11月 5日 (水) 07時26分