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2013年11月17日 (日)

天誅!堀庄次郎 あらすじ

エピソード7 天誅!堀庄次郎

幕末の鳥取藩は、尊王攘夷のカリスマ水戸藩主徳川斉昭の五男 池田慶徳を

藩主に迎え、父親譲りの尊王攘夷論を唱え教育改革、財政再建、軍備増強を

図り、尊王攘夷の雄藩と目されていた。

 

嘉永5年春 堀庄次郎は、水戸からやって来た12代藩主池田慶徳の家庭

教師に選ばれた。

慶徳の信任を得た庄次郎は、藩校尚徳館文場学正に抜擢されると、安達

清一郎と共に尊王思想を柱とする水戸学を取り入れ、水戸弘道館を模範に

した尚徳館改革を推し進めた。

尚徳館に学んだ若き志士たちは尊王攘夷の下に強固な絆を築き、鳥取勤王党

として一大勢力に拡大していった。

 

 元治元年夏、新選組による池田屋襲撃事件で多くの志士を失った長州藩は、

禁門の変で暴発し御所に向かって矢弾を打ち込んだ。

 

庄次郎は、御所の安全確保こそが勤王の大義であり、鳥取藩は御所を警護

する方針を打ち出し、長州とよしみを通じる河田左久馬ら尊王攘夷派を

抑え込み、長州と袂を分かち尊王攘夷派の恨みを買った。

 

庄次郎が大目付に就任し、鳥取藩の舵取りを任されたとき、幕府から長州

征伐の派兵要請が下された。

 

庄次郎が長州派兵を決定すると、尊王攘夷派の怒りはついに爆発。

こともあろうに鳥取勤王党の立役者 堀庄次郎に天誅の刺客を放ったのだった。

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