天誅!堀庄次郎 あらすじ
エピソード7 天誅!堀庄次郎
幕末の鳥取藩は、尊王攘夷のカリスマ水戸藩主徳川斉昭の五男 池田慶徳を
藩主に迎え、父親譲りの尊王攘夷論を唱え教育改革、財政再建、軍備増強を
図り、尊王攘夷の雄藩と目されていた。
嘉永5年春 堀庄次郎は、水戸からやって来た12代藩主池田慶徳の家庭
教師に選ばれた。
慶徳の信任を得た庄次郎は、藩校尚徳館文場学正に抜擢されると、安達
清一郎と共に尊王思想を柱とする水戸学を取り入れ、水戸弘道館を模範に
した尚徳館改革を推し進めた。
尚徳館に学んだ若き志士たちは尊王攘夷の下に強固な絆を築き、鳥取勤王党
として一大勢力に拡大していった。
元治元年夏、新選組による池田屋襲撃事件で多くの志士を失った長州藩は、 禁門の変で暴発し御所に向かって矢弾を打ち込んだ。 庄次郎は、御所の安全確保こそが勤王の大義であり、鳥取藩は御所を警護 する方針を打ち出し、長州とよしみを通じる河田左久馬ら尊王攘夷派を 抑え込み、長州と袂を分かち尊王攘夷派の恨みを買った。 庄次郎が大目付に就任し、鳥取藩の舵取りを任されたとき、幕府から長州 征伐の派兵要請が下された。 庄次郎が長州派兵を決定すると、尊王攘夷派の怒りはついに爆発。 こともあろうに鳥取勤王党の立役者 堀庄次郎に天誅の刺客を放ったのだった。
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