<維新の魁>訂正、武田耕雲斎墓所の献灯者
敦賀の武田耕雲斎・天狗党の墓参りをした際、河田左久馬と北垣国道による灯篭献灯について記載しましたが、河田左久馬ではなく、二つ下の弟「河田景雄(弘吉郎)」であることが判明しました。
河田左久馬は、河田三兄弟で、一番下の弘吉郎は、荒尾駿河に従って、北垣国道と共に北陸道ルートの東征軍に加わり、維新後は京都府の重役になったそうです。
北陸道を行軍した際に敦賀で耕雲斎や天狗党の惨劇の地を通り、北垣と組んで献灯したものでしょうか。
私は、河田左久馬の一番下の弟は、まったく頭になかったのですが、今回の件で俄然注目させられました。
河田兄弟は、一体どれだけの人脈があったんでしょうか?
あの、太田垣蓮月とも親交があったと聞いており、本当に河田は京都の英雄の名にふさわしいなあと思います。
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