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2014年4月17日 (木)

<黒木龍馬会>設立準備会の記事が出ました

3月9日の設立準備会記念写真と、会のことを紹介した記事が本日(4月17日)の日本海新聞13頁右下に出ました。

P1190233

また、25頁右下に倉吉淀屋で行われた「まんが河田左久馬~倉吉淀屋と因幡二十士~」原画展のオープニング式典の記事が出ていて、テープカットの右端に加わっております。

本来なら、因幡二十士が幽閉されていた根雨の泉龍寺の和尚さんが立たれる位置ですが、お寺の用事で参加できないということで、代役で県からお話があったもので、維新の魁映画監督ということでバスっとテープを切らせていただきました。

河田左久馬がマンガになるなんて、マンガ王国でなかったらこうは行かなかったと思います。

マンガが幕末維新の鳥取藩の活躍を知る良いきっかけになればいいなあ。そして、もっと詳しく知りたい人は、僕の映画「維新の魁」を見て、幕末鳥取藩(fan)になって、薩長因土肥をめざしましょう。

映画の上映会に来ていらしたおばあさんが昔のことを思い出して、わたしのお爺さんが昔「鳥取は薩長因土肥だった。」と言っていたと、話されました。

まさにその通り、誰が薩長土肥と言い出したのか分かりませんけど、ここに因が入っていないのには悪意を感じます。

因州鳥取は徳川一門で、おまけに最後の藩主 池田慶徳は水戸から来ていて最後の将軍徳川慶喜のお兄さんなので、故意に因が外されたと、私は確信しています。

なぜなら、明治維新の成立に徳川一門で将軍の兄の鳥取藩が活躍したなんて、薩長は口が裂けても言うわけにはいかなかった。

鳥羽伏見の戦いで鳥取藩がいの一番に薩長軍に加わったことで、形勢が一気に薩長側に傾いたのは戊辰戦争に官軍勝利のレールをびしっと敷いたことになるほどのインパクトなのに、これも無視されている。その程度の歴史認識なのです。

薩長には認識を改めていただきたい。「鳥取の活躍を無視してごめんなさい」と。

やられたらやり返す、倍返しだ~。でもどこぞの大統領のように1000年先まで恨みはしません。

気持ちよく許してあげるので、薩長因土肥で、明治維新150周年をお祝いしましょう!

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