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2014年4月14日 (月)

<維新の魁>河田左久馬がマンガになった

なんと、幕末鳥取藩の星 河田左久馬がマンガになりました。

コンビニで販売されている「コミック乱TWINS」というマンガ雑誌の3月号(4月13日発売)に掲載されています。

鳥取東部ではなにかと誤解されている河田左久馬がマンガの主人公に!

さすが、まんが王国 鳥取県。

これを機会に河田左久馬が見直されればいいなあ。

私個人としては、河田がいなければ、鳥取藩が鳥取県として残っていなかった。

と、思っています。

ズバリ。河田は鳥取県の恩人でござる。

鳥取県民は、今でも鳥取県があることにな~んにも違和感がないでしょうけど、実は、鳥取藩最後の藩主 池田慶徳は水戸徳川家から来ており、しかも最後の将軍 徳川慶喜の兄。

ざくっと言えば、徳川一門で賊軍の仲間なのです。

しかしながら、河田左久馬ら尊王攘夷派が長州と連携して活動していたため、長州藩の桂小五郎たちとは昵懇の間柄で、そのことが、鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争では、鳥取藩が薩長に続く官軍参戦となり、河田が隊長を勤めた山国隊の大活躍もあり、薩長土肥にも負けない活躍で「鳥取県」が残ったと思います。

河田らがおらず、徳川一門という立場で戊辰戦争に突っ込んでいたら、今頃は島根と合併しているか、良くても「岩美県」とか「気高県」とか「八頭県」になっていたかも?

かなりざっくりとした話でしたが、河田は初代鳥取県知事でもあり、もっと、鳥取で見直されるべき人物であります。

あの、坂本龍馬とも仲良しだったんですよ!

鳥取黒木龍馬会としては、龍馬と黒木と河田の記念像を建てて、鳥取の誇りにしたいと考えております。

河田がマンガになったのを記念して4月16日11時半から倉吉淀屋にてオープニング式典があります。

私にも声がかかりましたので出席します。

詳しくはコチラをご覧下され。

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