<維新の魁>次々回作「倒幕の魁」の取材に生野を訪問
これから「天下の兄弟喧嘩」のロケ本番だというのに、昨日(5月1日)、早々と次々回作の「倒幕の魁」の取材に行ってしまいました。最高のドライブ日和だったので。
生野は、鳥取道、播但道経由で2時間半でした。おおむね鳥取から境港に行くくらいの時間です。
まず、生野義挙のあった生野代官所跡に立つ記念碑
生野書院を訪問。なんと平野国臣愛用の横笛が展示されていた。
隣には、北垣国道の刀も展示されていた。すご~い。
展示を見ていたら、横で電気工事をしていたおじさんが突如解説をしだして、これがまた良く知っている方で、このおじさんはただ者ではない。と思っていたら、いわゆる郷土史家のおじさんでした。
電気工事のおじさんが郷土史家に豹変たのです。
しかも、自分が編纂委員長を務めて製作された「日本とともに歩んだ銀山の町 いくの」という写真集をプレゼントしていただきました。
初対面で見ず知らずの私に貴重な本までくださり、立ち話で解説までしていただいた、編集委員長の杉浦建夫さん本当にありがとうございました。
戦中は特殊潜航艇(海龍、蛟竜)の乗組員だったそうです。どうか長生きしてください。
南八郎ら17人が農民達に襲われて自害した跡に立っている山口護国神社。
この岩の後ろで自刃して、秋月藩の戸原卯橘が一人づつ介錯し、後、出石藩士が首を代官所に届け、亡骸は地域の人がこの岩の後ろに埋めたそうである。なので、岩の後ろが高くなっているゆえんだそうである。戸原は最後に切腹して喉に短刀を付きたて、岩から飛び降りて喉をついて死んだそうである。壮絶すぎます。
南八郎は21歳だったそうである。
維新を見ずに維新に死んだ 燃えた人生二十一 南八郎ここにあり
ここが、原六郎の生家「佐中千年屋:さなかせんねんや」
残念ながら中に入れませんでしたが、かなり痛んでいるようでした。
山国隊司令士で坂本龍馬とも親交があった原六郎の生家です。
朝来市さんこのままだと朽ちてしまいますよ。
今のうちに何とかしてください。
ここが北垣国道の生家跡「かやのきさん」。
日本最大のヒダリマキガヤの木、なので北垣国道生家跡を「かやのきさん」と呼ぶのだそうである。
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