<維新の魁>奥田萬次郎、加須屋貞蔵の墓石の状況
京都の鳥取県人会で映画を上映するため5月31日に久しぶりに京都に行ってきました。
会場は京都駅の中にあるホテルグランビア京都。かなり上等なホテルでビビッてしまいました。
上映したのは第1作の「本圀寺の大激論」。
京都在住の鳥取県民の方々にはどのように見ていただけたのか、反応もつかめないままに終了しました。
上映後に県人会の幹部の方々と懇談し、旧知のMさんとは久しぶりだったので話に花が咲きましたが、その中で「奥田萬次郎の墓がやばいことになっている」と聞きましたので、翌6月1日、知恩院まで確認に行ってまいりました。
その日の京都は、予想最高気温35度。
死にそうでした。熱中症対策に飲んだペットボトルのお茶も5本でした。
知恩院の国宝の本堂は現在改修工事中で、中には入りませんでした。
そこを通り抜けて本堂の裏手の石段をずんずん上がったところのてっぺんに奥田萬次郎のお墓はあります。
鳥取藩尊王攘夷派22人による、文久3年8月17日の本圀寺事件(因幡二十士事件)で、恩師 黒部権之介を手にかけたことを後悔して知恩院の塔頭 良正院で自刃した奥田萬次郎は、奥田義人(有名な東京府知事。栗谷町にお墓がある)のおじさんであります。
その左隣には、加須屋貞蔵武門のお墓もあります。
貞蔵は、二十二士の仲間ではありませんが、8月25日に自刃しており、二十二士とはなんらかの関係があったのではないかと考えております。
ひょっとすると23番目の二十二士だったのかもしれません。(映画監督風の見方)
この二人のお墓が存亡の危機になっていると聞いたらほおって置くわけには参りませんので、じかに確認してきました。
写真で見ていただくとおり、加須屋のお墓が若干傾いてはいますが、やばいというほどではないようです。
墳墓改修の立て札も一切ないのでもうしばらくは大丈夫なようです。
雑草も後ろのほうは生えていましたが、二人のお墓は通路側であり、雑草はまだ生えていませんでした。
結論としては、今の所は墓石=大丈夫、墳墓改修の札がない=墓石撤去の惧れなし、ということでまずは一安心という感じでした。
万一、墓石撤去という事態にでもなれば、なんとか鳥取県内に引き取り手がないかと考えております。
なお、二人の墓石とも、右側には「宿坊 良正院」と彫られています。
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