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2014年10月18日 (土)

<黒木龍馬会>水戸天狗党終焉の地 敦賀に大集合

10月15~16日と福井県敦賀に行ってきました。

私の映画にも出てくる武田耕雲斎率いる水戸天狗党終焉の地です。
今年が天狗党蜂起150周年です。
尊王攘夷の志を天皇に直訴するために水戸から1000キロも離れた敦賀までやってきた828人が元治元年12月17日に加賀藩に投降し、翌元治2年353人が斬首された。
このときの幕府の司令官は、田沼意次のひ孫の意尊(おきたか)である。
この日集まったのは、水戸から4人(桜田烈士 鯉渕要人の子孫とその仲間)、京都から山国隊の子孫、大津から河田左久馬の弟 河田精之丞の子孫、黒木龍馬会会長で本圀寺事件の被害者 早川卓之丞の子孫 美田会長、そして志士の子孫でもなんでもないけど、本圀寺事件の被害者 黒部権之介の屋敷跡に家を建てて住んでいる私映画監督夫妻の9人が大集合して敦賀調査が始まりました。
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武田耕雲斎銅像の前で、後ろの土盛が天狗党353人分のお墓。これはもう虐殺です。
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武田耕雲斎銅像(本人の自画像がモデル)
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鳥取藩士 河田弘吉郎(河田左久馬の弟)と北垣国道(維新後琵琶湖疏水を作った府知事になる)が慶応4年7月に献上した石灯篭(右側には備前藩家老土倉さんが立てた石灯篭もある。岡山の方は要注目)
P1200321
美田会長が発見した鳥取藩京都詰家老 荒尾駿河が献上した石灯篭、荒尾駿河は鳥羽伏見の戦いに鳥取藩が薩長軍に参陣することを決断した名家老(この石灯篭は世紀の大発見です。壊れているので、修復して元の場所に置きたいと思います)
敦賀の皆さん これ 捨てないでね。
それにしても、鳥取藩士が水戸天狗党のために慶応4年7月の戊辰戦争でクソ忙しい時期に石灯篭を献上するほど、水戸と鳥取は縁が深かったとは!
岡山藩も藩主は池田茂政といって、水戸の徳川斉昭の息子で鳥取の池田慶徳とは同母(側室)の兄弟。慶喜は腹違い(正妻)の兄弟。
水戸・鳥取・敦賀・岡山の新たな歴史が今始まった。
P1200334
天狗党が捕まり、ふんどし一丁で閉じ込められたニシン倉。今は資料展示場。
窓は閉じられて、真っ暗な中に50人づつ閉じ込められたそうです。
ご飯は、一日おにぎり一個と水一杯で、多くの人が病死したそうです。
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天狗党が陣を構えた新保(しんぽ)の陣屋の門、この裏に屋敷の一部分が残されている。
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武田耕雲斎の子 金次郎ら200人が准藩士としてお世話になった国吉城で。
ここで2年間お世話になり維新を向かえ、新政府にお願いして官軍となり、水戸の諸生党を征伐するために帰郷する。金次郎は諸生党殲滅のため徹底した諸生党狩りを行う。
やられたらやり返す、100倍返しだ!
ということで、水戸の内紛は後世にまで禍根を残します。本当に残念。本当の維新の魁は水戸なのに。
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小浜藩が新たに作った屋敷跡、ここに4棟の屋敷があって、武田金次郎ら200人が2年間過ごした。
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鳥取に帰る途中の体育館で恐竜展をやっていた。福井勝山の恐竜博物館の出張展示だった。ラッキー。スピノサウルスの全身骨格。こわ~い。

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