<黒木龍馬会>いよいよ明日は鳥取初の龍馬祭
慶応3年11月15日。
坂本龍馬が日本の夜明けを見ることなく、シャモ鍋を食べることなく、京都近江屋の2階で京都見回組の凶刃に倒れた日である。
龍馬の命日、11月15日は、京都霊山の龍馬のお墓はもとより、全国の龍馬会が龍馬の慰霊を行うために龍馬祭を開催する。
明治維新から約150年間、鳥取では龍馬祭が開催されたことはない。
なぜなら龍馬は鳥取に来ていないので、龍馬にまつわる場所や歴史がないからだが、人のつながりはバッチリある。
黒木小太郎は亀山社中で龍馬からワイルウェフ号の船長を任された因州の人間である。
残念ながら初航海の際、嵐に遭遇して慶応2年5月2日に五島列島沖で難破し亡くなっている。
明日は、龍馬さんと黒木小太郎、副船長の池内蔵太、ワイルウェフ号のその他の船員10人の慰霊祭を鳥取東照宮で行う。
なぜ、東照宮なのか?
鳥取東照宮は徳川家康が御祭神であるが、池田慶徳も合祀されている。
池田慶徳は、尊王攘夷のカリスマ水戸の徳川斉昭の五男であり、コチコチの尊王攘夷派である。
彼が水戸から水戸学を藩校尚徳館に導入し、多くの若い藩士が尊王攘夷派になり、急進派は脱藩して等持院事件、天誅組ノ変、生野ノ変、佐久間象山暗殺などに加わり、藩主側近を惨殺した本圀寺事件の因幡二十二士などを排出した。
いわゆる鳥取勤王党の本当の立役者は、慶徳自身である。
しかも、慶徳は鳥取勤王党を弾圧していない。
前田利家の加賀藩、黒田官兵衛の福岡藩など大方の藩では勤王党を弾圧し斬罪に処している、あの土佐藩でさえ武市半平太を筆頭に斬罪に処している。
山内容堂は、維新後薩長に牛耳られた新政府の様を嘆いて「武市を切腹させるんではなかった。」と後悔している。後の祭りだ。
龍馬も武市もいないのだから薩長にはかなわない。二人が生きていたら、西郷にも桂にも大久保にも同等に話ができる。後藤象二郎では役不足なのだ。
そんな中で、色々あったにしろ結果的に因幡二十士さえ斬罪に処さなかった(処せなかった)慶徳さんはすごい殿様です。
その鳥取勤王党の藩士の中に龍馬と関係がある人が結構いるのです。
龍馬の足跡はないけど、龍馬の人脈がある鳥取。その育ての親が池田慶徳。
ということで、慶徳が祀られている東照宮で龍馬祭を行うのも道理があるということです。
長くなりましたが、明日は
シャモ鍋会は、ドタキャンが発生したので余裕ができました。
明日、申し込んでも大丈夫!
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