<維新の魁>大茅地区公民館祭で天下の兄弟喧嘩を上映、そこで新発見!
本日、国府町大茅地区公民館祭で天下の兄弟喧嘩を上映しました。多くの方に見ていただき、お昼にはカレーライスをご馳走になりました。
そこで、雨滝のHさんから「文久3年に作られた雨滝番所の役宅跡がある。」と教えていただき、そこまで案内してもらいましたいた。
まさに尊王攘夷の嵐が吹き荒れていた文久3年4月に建築されたという雨滝番所の役人達の館(今で言うと官舎)が建っていた石垣で、藩直轄の工事だったそうで、その作りがまわりの作りと比べて頑丈な、いかにも金かけて作りました的な石垣でした。
この番所を越えて脱藩した若者もたくさんいたんだろうなあと思ったら、今編集中の倒幕の魁に挿入したくなりました。
この雨滝の村中を走っている旧道は、但馬に抜ける道で、ずんずん進むと京の都に到着します。
脱藩した若者達は、この番所を正規の手形で越えたのか、手形を偽造したのか、はたまた番所が閉まった後に獣道を通って番書破りをしたのか、多くの若者がここを通って京都に向かったのでしょう。

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